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マナッサスの戦い
“ブラインド・トム”ベスューン作曲
The Battle of Manassas
By "Blind Tom" Bethune




 ブラインド(盲目)・トム (Blind Tom, 1849-1908) として知られ、トーマス・ベスューン、トーマス・ウィギンス、またはトーマス・グリーンとも呼ばれる彼の生い立ちについて書いてみよう。

奴隷解放のための南北戦争が始まる13年前、1849年にジョージア州、コロンバスで奴隷である父、ミンゴ・ウィギンス (Mingo Wiggins) と同じく奴隷である母シャリティ・グリーン (Charity Greene) の子供として生まれた。 知的障害をもっており、それは医学史においてもめずらしい「サヴァン症候群」 "Autistic savant"(ある特定の分野に特異な才能を示す自閉症の一種、日本では画家の山下清がそうだったのでは無いかと言われる)と考えられている。トムはさらに生まれながらの盲目であった。 一家はジェームズ・ベスューン将軍 (Gen. James Bethune, 1803-1895) に買い取られたことにより、彼の名字は習慣にしたがい母方の名と新しい主の名字を受け、トーマス・グリーン・ベスューンとなった。前所有者は赤子のトムが将来全く労働力にならないことを知り、一家を安く手放したのである。 トムは障害を持っていたが故に、家屋で働く母とともに屋敷の中に入ることを許され、ベスューン家の七人の子供たちからはかわいがられていた。 しかしその様子はまるで「犬か猫、ペットをかわいがる」かのようで、「おすわり!立て!」などと教えられていたのである。
ベスューン家の子供たちはピアノを習っていたが、トムは幼少の頃より音に非常に興味を持ち、あるとき突然ピアノの所に行くと、ベスューン家の子供たちが弾いていた曲を手探りで弾き始めたのである。 6歳の頃には即興で演奏するまでになり、ベスューン将軍は彼に正式にピアノを勉強させることにしたのであった。 すぐにプロモーターが付き、各地で演奏することになり、その収益はベスューン家に多額の収入をもたらした。 演奏会の口上から察して、多分に見世物的要素もあったであろう。 当時のブキャナン大統領 (President, James Buchanan, 1791-1868) や、作家マーク・トウェイン (Mark Twain, 1835-1910) といった著名人たちの前でも演奏したというのであるから、かなりの売れっ子であったには違いない。 10代のリサイタルプログラムにはショパンやリストの作品も並んでいたのだから、決してたどたどしい演奏をした訳ではないであろう。




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